本日のカモノセログ
けいほく通信 #2 ──麒麟が来た!
こんにちは。まるおです。
大河ドラマ『麒麟がくる』観てますか〜!?
地元が舞台だし、光秀の衣装やらセットやらがめっちゃカッコいいしでハマっていたのですが、
休止期間に放送された『国盗り物語』を観たら
「あれ? むかしの衣装やセットのが役者の演技が引き立つやん!?」と、こっちに浮気していているわけです(笑)
松坂慶子さんって、きれいやわ〜〜〜
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光秀はどんな人物だったのか、人々にどう受け止められたのか。
内政に長け領民に愛される人だったことは、整然といまも守り継がれている亀岡のまちなみを見ればわかるのですが、
宣教師のルイス・フロイスは「当代第一の築城の名手」と光秀を評しています。
お城か! 行ってみよう!! ……というわけで、行ってきましたよ、福知山城。
──コロナで入れませんでした。
行ってきましたよ、亀山城!
──コロナで入れませんでした。
コロナコロナ・・・・
で、知らなかったわけです。
京北の城主が光秀だったことを。
京北に通いはじめて1年近くなるわけですが。
ふつう、地元舞台の大河ドラマやってたら、町中まつりになると思うじゃないですか!?
たしかに道の駅なんかにはちょちょっと『麒麟が……』ののぼりがあったりはするんですが。
その名も周山城。
カモノセログから毎日見上げていた山の名前が「城山」、まさにそこが光秀のお城だったのです。
山城で、石垣しか残ってない状態なのでコロナは関係なし!
山の尾根に沿って石垣がながーく連なって、さながら万里の長城!
山道をひたすらのぼると。。。。
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この周山城、お城に詳しい人に聞くと、城郭史の上で重要な位置づけなのだそうです。
比叡山の焼き討ちに苦労した光秀は、山に石垣を築く山城の重要性に気づき、坂本に城を構えるにあたって穴太衆の石積みの技術を取り入れ、安土城を経て、その後の巨大な城郭へと連なる石垣の進化のプロセスにあたるのが周山城なのだそうです。
当時から生えているに違いない見事なスギの巨木……すげぇ
そこいらにありそうな石を乱雑に積み上げたこの積み方を「野面積み」と言います。
見た目は雑ですが、水はけがよく見た目以上に頑丈で、コンクリートの法面よりも強度があるのだそうです(石垣が崩れる最大の原因は水を含んだ土圧なので、水はけが最も重要なのだそう)。
試しに石を積んでみたのですが、私の手ではせいぜい3段が限界(笑)
石の凹凸を見極めて重ねていく、見た目以上に高度な技術であることがわかります。
教わって驚いたのは、この野面積みの技術ができるまでは、石垣は最大で30cm程度が限界だったのだそうです。
それがこの周山城では1m程度の高さ。
後の切石組によって数メートルの石垣が組めるようになるまで、石工の技術が戦国末期の短い時間に急速に進歩していきます。
その技術発展の節目に当たるのが、この周山城の石垣なんだそうです。
京北の町が一望! 残念ながらカモノセログはちょうど尾根の影になっちゃってます。
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周山城が築かれたのが、本能寺の変の1年前。
東丹波制圧に際して、最も抵抗が激しかったこの地域を攻める拠点として城は作られました。
京北のお寺が焼き討ちされた記録があったり、先に書いた京北の36家が滅ぼされたのもこのときで、京北の地にとっては光秀は短い時間にやってきた「侵略者」だったのかもしれません。
麓のお寺には、黒塗りの光秀像が残っています。
誰が造ったのか、なぜ黒く塗りつぶされているのか、詳しいことはわかっていないのだそうですが、この光秀像は長谷川さん演じる色白の公家的な姿とは対極の、オニのような鋭い眼光を放っています。
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石垣に、先の台風で倒れた木が寄りかかって、腐ちかかっています。
木と石。
どちらも建物の主要な材料ですが、まったく違う性質の2つの素材が美しいコントラストをなしてますね。
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